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 福島県南相馬市から見附市に避難してきた祖母と孫の3人家族がいる。北久子さん(76)と江梨花さん(8)、喜樹(よしき)君(6)だ。11日で東日本大震災から1年。見知らぬ土地でいつまで3人で暮らせるのか。将来の不安を抱きながらも、互いに支え合い、肩を寄せ合うようにして生きている。

 北さんの長女で、江梨花さんと喜樹君の母万里子さんは離婚し、北さんと万里子さん、孫2人の4人で暮らしていたが、万里子さんが09年に病気のため32歳で亡くなり、3人の生活が始まった。

 地震発生時、北さんと喜樹君は南相馬市原町区の自宅にいたが、地元の小学校にいた江梨花さんは「ばあばが死ぬんじゃないか」と思って泣いたという。

 自宅は東京電力福島第1原発から30キロ圏内。震災から1週間後の3月18日、身の回りのものを詰めたバッグ一つを持ってバスに乗り、3人は避難所になった見附市の体育館にたどり着いた。慣れない避難所暮らしで、同月下旬、北さんは体調を崩して寝込んだこともあった。

 昨年5月から見附市内のアパートで暮らす。北さんは「まさか1年もいるとは思わなかった」と嘆く。母を亡くしたうえ、震災で避難を余儀なくされた孫たちの気持ちを考えると切なくなる。夫と万里子さんの墓がある南相馬市に戻りたいとも思うが、「放射能がおっかなくて戻りたくない」と複雑な心境だ。

 避難後の生活で一番応えたのは、今冬の記録的な大雪。車の運転免許はなく、買い物は約1キロ離れたスーパーに3人で歩いていく。1週間分の食料品を買いだめするため、リュックを持参していっぱいに詰め込み、また歩いて帰る。重いリュックを背負い、慣れない雪道を歩くとヘトヘトになった。

 生活費は、北さんの年金と義援金、貯金の取り崩しで賄い、ぎりぎりの状態だ。たまには旅行に連れて行ってあげたいとも思うが、現実には無理だ。江梨花さんに「私が車の免許取ったら、どこかに連れて行ってあげる。だから生きてよ」と言われ、北さんは思わず泣いた。

 一方、3人での生活は「厳しいけど楽しい」と語る。寝起きする6畳の一部屋は窮屈だが「孫らの笑顔を見ることが何より楽しい」。いつもにぎやかだ。

 見附市の小学校に通う江梨花さんは4月から3年生、喜樹君は1年生になる。将来への不安はきりがないが、下を向いていても仕方がないと思う。避難所を出て以降、体調を崩したことはない。北さんは「守るべき人間がいるから風邪をひいている場合じゃない。守る立場は強いですよ」と、ちょっと自慢げに笑った。見るのも嫌だった雪にも、もう慣れた。【岡村昌彦】



3月11日朝刊





(この記事は新潟(毎日新聞)から引用させて頂きました)



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